インプロ「いい話」問題

インプロはあるところまでは社会的に好ましいものとして受け入れられる。ゆえにインプロが「いい話」として終わってしまうという問題意識を僕は持っていて、これを「インプロいい話問題」と名づけている。というか今名づけた。

インプロに関する話でおそらく一番社会的なウケがいいのは「相手にいい時間を与える」という考え方だろう。「相手にいい時間を与えていれば、ショーは自然といいものになる」という現象は僕もたしかにその通りだと思っているし、この話を聞いた人もなんだかいい話を聞いたと感じるだろう。

けれど、僕はこの話はそんなに単純ではないと思っている。

多くの場合(特に日本での場合)、「相手にいい時間を与えよう」と思ってインプロをやっても、それはあまりうまく働かないように思う。そしてその原因はテクニックの問題でもあるけれど、より根本的にはこの考え方が義務感になりやすいからだと思っている。

「相手にいい時間を与える」という考え方はとってもいい話だ。しかし、まさにいい話ゆえに「相手にいい時間を与えなければいけない」という義務感になりやすい。そしてそこにはもう遊び心も愛も無い。

「相手にいい時間を与えたい」という純粋な望みを引き出すためには、そういった義務感を打ち破る必要がある。そしてそのためには「相手にいい時間を与えなくてもいい」、もっと言えば「自分には相手を傷つける自由がある」ということを信じる許しと覚悟が必要だと思っている。

ここまで来ると、インプロは「いい話」では済まなくなる。ある種反社会的な、そして信仰のような話にもなる。

「そんな考え方をしたら世の中はヒドいことになるだろう」と考えるのが社会の主流だろうし、僕自身も一般社会にまでこの考え方を適用できるかはまだ分かっていない。

しかし、少なくともインプロに関してはヒドいことにはならないようだという実感を少しずつ得てきている。反対に、義務感を捨てたときにこそ本当の優しさが現れてくるのだなぁということを最近は実感している。

同じ考え方は「いいショーをする」ということにも当てはまる。僕は今年に入ってからインプロショーに対する恐怖が格段に減ったように感じるのだけど、その理由は「自分にはいいショーができるという自信がついた」からではなく、むしろ「自分にはヒドいショーをする自由がある」と思うようになったからだと思う。

そして「ヒドいショーをする自由がある」と思ったらショーがヒドくなったかと言えば、そんなことはなかった。「今回はダメダメだったな」というショーもあったけれど(笑)、少なくとも自分自身については恐怖が減った分パフォーマンスは向上したと思っている。

インプロではどんなに「いい話」や「正しいこと」があったとしても、「してはいけない」「しなければいけない」というルールは何もない。むしろそういったルールを壊した先にある純粋な遊び心や愛が輝くような瞬間を僕は生み出したいと思っている。

1985年横浜生まれ。東京学芸大学に在学中、高尾隆研究室インプロゼミにてインプロ(即興演劇)を学ぶ。大学卒業後は100を超えるインプロ公演に出演するほか、全国各地において300回を超えるワークショップを開催している。2017年にはアメリカのサンフランシスコにあるインプロシアターBATSにてワークショップおよびショーケースに参加。またアメリカのインプロの本場であるシカゴにも行き、海外のインプロ文化にも触れる。 →Twitter