ワークショップにおける「批判しない」について

ワークショップでよく言われる「批判しない」ということは、単に批判的なことを言わないというだけではなく、本当に批判的な心を持たないことが大事なのだと思う。たとえ批判的なことを言わなくても、そこに批判的な心があればそれはどうしたって伝わってしまう。

本当は心の中で相手を批判しながら「いいですよー」と言うよりも、心から相手を受け入れながら「バカだなー!」と言えるほうが僕はずっと尊いことだと思う。そして自分が許せないと思っていることを本当に許している人がいれば、それだけで何かが変わっていく。

でもこれはあくまでも理想型だから、実際には常にそこを目指していく過程なのだと思う。「批判的な心があるのだから批判すればいい」と開き直る(実際には感情に囚われている)のではなく、「人を批判してはいけない」というルールに囚われるのでもなく、批判している心に気づいたらただそれを流していく。そうしているうちに自分がだんだんとクリアになっていく。

人はすぐに「どうすればいいのか」を知りたくなるけれど、それよりも「どうあればいいのか」を知ることの方が大事なのだと思う。それは一足飛びにはいかないもどかしい過程だけれど、そういう風にしか進んでいくことはできないし、僕はそういう風に進んでいる姿自体にある種の美しさを感じる。

分からないからやらないのではなく、分からないからやってみる。

インプロをやっている人に「あなたはゲームとシーン、どちらをどれくらいやりたいですか?」と尋ねたら、おそらくほとんどの人は「シーンをたくさんやりたい」と答えると思う。しかし、「あなたはゲームとシーン、どちらをどれくらいやっていますか?」と尋ねたら、おそらくシーンの比率はぐっと下がって、実際はゲーム(およびゲーム的なシーン)をやっている時間の方が長いという人もかなり出てくるように思う。

このような現象が起きる理由は、やっぱり失敗に対する恐怖なのだろうと思う。

シーンの失敗は、本当にどうしていいのか分からなくなる時がある。だから、失敗しても安心な(むしろ失敗することが前提となっているような)ゲームをやってしまうという状態なのだと思う。

インプロでシーンをやるためには、失敗に対する認識を本当に変える必要があるのだと思う。

「本当にどうしていいのか分からなくなる時がある」からやらないのではなく、「本当にどうしていいのか分からなくなる時がある」からこそやる。

すでに分かっていることをやっても探究にはならない。分からないことを分かろうとするからこそ、そこには探究の可能性がある。失敗を避けるべきものとして捉えるのではなく、失敗を探究の機会として捉える。

そうすれば分からないことを発見するためにシーンをすることができるし、それで失敗してもそんなに落ち込まずに済むし、なんとなく流さずにも済む。

そして「なぜ失敗したのだろう?」と探究心を持ってふりかえることができれば、インプロは自然とうまくなっていく。

とはいえ、失敗に対する認識を変えることは身体的な学びだから、頭で理解してもすぐにできることではない。少しずつ少しずつ進んでいけばいい。その途中でもし苦しくなってしまったら、その時はただ楽しいだけのゲームでもいいから、それをして遊び心を思い出せばいい。遊び心と探究心は別のものではなく、むしろ遊び心こそ探究心の土台になっているのだから。

失敗について学ぶということは、学び方について学ぶということだと言える。だから何をしているのかよく分からなくなる時もある。でもさっきも書いたように、よく分からなくなる時があるからこそ探究しがいがあるのだと思う。

挑戦するとは自分で自分をダメにすることではなくて、舞台の上でできるだけいい状態でいること

僕はインプロをするときには挑戦することが大事だと思っているのだけど、同時にインプロには挑戦してる「ふり」もたくさんあるように思う。

やたらと難しいルールのゲームはその例で、これは一見すると挑戦しているような感じがするのだけど、実際にはルールを課すことで本当の挑戦である未知には進まないようにしているのだと思う。そこそこのところで失敗することで(失敗する「ふり」をすることで)笑いをとって安心しようとしているのだと思う。

挑戦するとは自分で自分をダメにすることではなくて、舞台の上でできるだけいい状態でいることなのだと思う。そうすれば自然と未知へと進んでいくことができるし、それでも失敗は起きるのだから人生は面白い。

自分をいい状態にしてあげる。パートナーをいい状態にしてあげる。そしてお客さんもいい状態にしてあげる。気楽に、失敗できるように、楽しめるように、面白がれるように、ワクワクするように、遊びたくなるように、ハメを外せるように、正直であれるように、余裕を持てるように、自由になれるように、ハッピーになれるようにしてあげる。

いいインプロとは「人生っていいな」と思えるものなのだと思う。そして毎日は続いていく。

キースのインプロは「失敗してもいい」ものではなく「失敗した方がいい」もの

キースのインプロは「失敗してもいい」ものではなく「失敗した方がいい」もの。失敗した方が面白いし、失敗した方が学べる。

自分のできる範囲で面白いことをやろうとしてもそれほど面白くはならない。挑戦していれば、奇跡が起きたり失敗したりして自然と面白くなる。

同じ失敗を100回繰り返す人はいない。失敗を繰り返せば挑戦だったことも当たり前にできるようになる。そしたらもっと挑戦する。

挑戦するためには意識的なチョイスが必要になる。未知に自分を放り込む感覚。でも自分は「自分」が思っているよりも賢いので、意外とできちゃったりする。し、できなかったらできなかったで面白い。

キースの言葉(例えば「Be average」)を挑戦しないための言い訳にしない。快適な領域で自然体でいられるのは当たり前。未知の領域で自然体でいてほしい。そうすれば未知の領域が開拓され、そこも快適な領域になる。

キースインプロの学び方は起業家の生き方と似ている。コンフォートゾーン(快適な領域)でうまくやらない。どんどん挑戦して、どんどん失敗して、そしてときどき何かが当たる、という生き方。

勉強するのではなく、探究する。何かをコツコツ積み重ねていくというよりも、何かにぶつかって自分という存在が変わる学び方であり、生き方。

「うつのみや春の演劇フェスティバル」に出演してきました

この前の土曜日は「うつのみや春の演劇フェスティバル」で演劇集団DE:RESインプロ研究室のゲストとして1時間のインプロショーに出演してきた。出演者はDE:RESのメンバー8人と僕を含むSAL-MANEの3人で合計11人。僕はディレクターをDE:RESのなぁさんと分担して行いつつ、プレイヤーとしても出演するという大忙しの1時間で、ひさびさにインプロをやってクタクタになった(笑)

ショーはとってもいいショーだった。プレイヤーは楽しんでいて、そしてチャレンジもしていた。そこにはインプロに対して真摯な姿があって、お客さんの反応もとても良かったと思う。

今回久しぶりにショーのディレクターをして思ったのは、「キースのインプロはよくできているなぁ」ということだった。キースのインプロはディレクターがいることが前提となることが多いのだけど、たしかに子供のようなプレイヤーと親のようなディレクターがいるとすごくいいショーになる。

今回DE:RESの出演者8人のうち、3人は初めてのインプロショーだった。他のメンバーにしてもインプロショーの経験数が多いわけではない。けれど、「初心者がいるからショーのクオリティーが低い」とか「経験者が集まっているからショーのクオリティーが高い」とか、そういう尺度ではない「よさ」がこの日のショーにはあった。

インプロショーでは普段90点の人が80点を出すよりも、普段60点の人が70点を出す方がずっといいショーだと感じられる。そして、ディレクター付きのショーはそういう状態をすごく作りやすいのだと思った。

一方で、この日のショーはディレクターがいないショーの難しさについても改めて考える機会になった。

SAL-MANEというチームは特定の指導者を持たない。また、最近は権力を分散させるようにしているので、僕もできるだけ口を出さないようにしている(これまでの経験上、僕がいろいろ言っても親の立場にはならなくて、「うるさい友達」の立場になるのであまりうまくいかない)。

DE:RESと比べるとSAL-MANEの方がインプロの経験は多いけれど、だからといっていいショーができるかというと「うまくいくこともあるけれど、思ったほどはうまくいかない」という実感がある。

親となるディレクターがいる場合、ショーの大枠はディレクターが作ってくれるし、チャレンジもさせてくれるし、いざとなったら助けてくれるという安心感もある。しかし、そのようなディレクターがいない場合はプレイヤーたちが率先して助け合って、チャレンジして、そしてショーを作っていく必要がある。

そしてそれは思ったよりも難しいことなのだということを、今回のショーを通して改めて発見した。(特に日本人はお互いを見合ってしまいがちなので難しいと思う。アメリカ人の場合はそれほどでもなく、そもそもディレクターの存在がほとんど無いのもある種必然だと言える。)

さらに言えば、これまでのSAL-MANEのショーはゲームやシーンごとにMCがあったので、交代でリーダー役を引き受けることができた。しかし最近はMCを入れない方法に挑戦しているので、本当にプレイヤーとしてショーを作っていく力が必要になるのだなぁと改めて実感している。

中学校でインプロショーをしてきました

先週の金曜日は日野さんのお誘いで、日野さんの母校である静岡の中学校でインプロショーをしてきた。メンバーは日野さん&即興実験学校のゆみいちゃん&SAL-MANEのしゅうへいと僕、というかなり珍しい4人組。この中学校はどみんごや日野さんの縁からインプロに積極的で、今回ショーを見た二年生は既に3回のワークショップを受けていた。

生徒にとっては初めて見るインプロショー&この4人でやるのは初めてのインプロショーということで、今回はゲームを中心とした見やすい&やりやすい構成のショーにしようということで本番に望んだ。しかし、結果としてその見込みはだいぶ実態とずれていたように思う。

印象的だったのはショーの最初にカテゴリーダイとストーリーダイをやった時だった。カテゴリーダイはMCから指された人がお題にそって答えを言い(例えばお題が「くだもの」だったら「りんご」のように)、間違えたり詰まったりしたらみんなから「ダーイ!」と言われるゲーム。ストーリーダイはそれのストーリー版で、MCから指された人がその間ストーリーを話し、話が変になったり詰まったりしたら同じくみんなから「ダーイ!」と言われるゲーム。

僕の中ではこのふたつのゲームはどちらも「失敗を楽しむ」系のゲームで、それほど違いは無いと思っていたのだけど、この日はそうではなかった。カテゴリーダイで失敗したときはみんなで盛り上がっていたけれど、ストーリーダイで失敗したときは盛り上がるよりも「あれ?話の続きは?」という空気になっていた。

その次には短く盛り上がる系のシーンをやってみたのだけど、やっぱり「あれ?続きは?」という反応になったので、次のステータスを使ったシーンはちょっとじっくりとやってみることにした。これは当初はそんなに長くやる予定ではなかったのだけど、シーンの展開自体もストーリー性のあるものになったので、途中で終わらせず「これで終わりだな」という実感があるところまで続けてみた。その時は生徒がすごく満足しているという空気を感じた。

「お話が始まったら続きが気になる」――言葉にすると本当に当たり前のことだけど、この日のショーはこのことに改めて気づかされた。

お客さんはインプロを見ている時に普通に続きを想像しながら見ている。しかし舞台にいる役者はその感覚を失ってしまい、何かをしなきゃいけないと思ったり、反対に逃げ出すようにすぐに終わってしまう。今回のショーはそういうことを改めて感じる機会になった。

もちろんお客さんは普通に想像しているからといって、舞台に上がったらインプロができるかといったらそういうわけではない。今回のショーでは生徒を何度か舞台に上げたけれど、客席にいるときはうるさいくらい元気な子でも舞台ではやっぱり固まっていた。また、恐怖の問題とは別に、想像している「何か」を具体的にするには瞑想的な技術が必要になる(「見る」技術については最近研究が進んでいるのだけど、これについてはまたいつか)。

しかし、インプロをやると決めたからにはこれらを言い訳にしてもしょうがない。想像する力は普通にあるのだから、それを信じて飛び込んでみるしかない。それでうまくいかなくなったら潔く失敗を認めればいい。そこに飛び込まずに失敗しないようにしたり、失敗することを前提にした失敗をしても小さくまとまるだけである。今回のショーはインプロバイザーとしてそんなことを思った。

合気道と即興

そういえば先日「気で投げる」ということをするワークショップに行ってきた。気で投げると言っても超能力のようなものではなく、全身を連動させることによって生まれる力で投げようという比較的分かりやすい内容。投げられる方もその力に抵抗するのではなく、むしろ流れに乗ってみようというもの。

投げるにしても投げられるにしても、うまくいっている時とうまくいっていない時の違いがはっきりと実感として分かるのが面白かった。相手を投げることに対する恐怖があるとうまくいかないし、相手を投げることに対する欲があってもうまくいかない。ただ相手と一緒にいて投げればいい。

そしてその違いは傍から見ていても明確なのが興味深かった。そこには美しさと茶番くらいの差があった。

これはちょうど演技において本当にやりとりをしている時とやりとりをしている「ふり」をしている時の違いと非常に近く、ストーリーテリングにおいて思い浮かんだことをやる時と考えたことをやる時の違いとも近いと思った。

インプロでは感情やアイデアを使えば即興をしていなくてもそれなりに面白くなってごまかせてしまうけれど、気で投げるというワークはシンプルゆえに本当に自分が今ここにいるかを捉えることができていいなぁと思った。

このワークショップよりもさらに一週間前には栃木にインプロを教えに行った。そこでは「三人一緒に立つ」というワークをやった。「座っている三人が一緒に立つ」というこれまたとってもシンプルなワークだけど、本当に即興で立つことができた瞬間は会場が一体になるくらいの面白さがあった(逆に故意に立ったときは茶番以外のなにものでもなかった)。

合気道にはデタラメな力があるように、即興にもデタラメな力がある。インプロをしていると何かいろいろやらないといけないような気がしてくるけれど、もっとシンプルに即興の力を信じてみてもいいのかもしれないと思った。

美しさと茶番の間をうろうろしよう。