12月4日(日)インプロワークショップふりかえり

今日はインプロワークショップでした!参加してくださったみなさま、どうもありがとうございました。

前回はだいぶ学び寄りのワークショップだったので、今回は遊び寄りを意識してワークショップを行いました。その結果、「スポンテイニアス(自発的)」をテーマとしたワークショップとなりました。

以下はワークショップのメモや個人的なふりかえりです。

自分の中の子どもを自由にしてあげる

スポンテイニアスな自分は、自分の中の子どものような存在。自分の中の子どもが自由にやって失敗することを許してあげる。「同じ失敗を繰り返してはいけない」と思うと子どもは不自由になる。同じ失敗をくりかえしてもいい。その中で子どもが学んでいることを信じてあげる。

検閲していることに気づいている

インプロでは思ったことを取りやめることを「検閲する」と言う。ほとんどの場合は検閲せずにやったほうがうまくいくけれど、検閲はしてもいいし(例:よりチャレンジするため)、場合によっては検閲したほうがいい(例:同じようなシーンが続いているとき)。しかし、検閲していることに気づいている必要はある。そうしないとただ不自由になっていく。

スポンテイニアスとは萎縮せず、頑張りもしない状態

スポンテイニアスな状態とは、表現することに萎縮せず、頑張りもしない状態。いわば自然体。ただし直接それを目指してもうまくいかない(自然体のふりをするだけになる)から、萎縮している自分や頑張っている自分に気づくことによってだんだんとクリアになっていく。

次回は12月18日(日)の13:30~16:30に行います。今回は自分をオープンにすることを重視していたので、次回は相手にいい時間を与えることをストーリーの観点からじっくりやっていこうかなと思っています。おかげさまですでに半分以上埋まっておりますので、ご興味のある方はどうぞお早めにお申し込みください。

11月13日(日)インプロワークショップふりかえり

今日はインプロワークショップでした!参加してくださったみなさま、どうもありがとうございました。

今日ははじめましての方もいらっしゃったこともあり、とっても丁寧なワークショップとなりました。同時に全員がディレクターまで体験するというチャレンジングな時間となりました。

以下はワークショップのメモや個人的なふりかえりです。

チャレンジしているからエキサイトできるし、人を引きつける

キース・ジョンストンのインプロは「チャレンジする」ということをとても重視しているものだと思う。チャレンジしなくても楽しむことはできる。しかし、チャレンジしたほうがよりエキサイトできるし、人を引きつけるものになる。

ディレクターはプレイヤーが困っていたら助けるのが仕事

ディレクターはプレイヤーが困っていたら助けようとする。これは当たり前のことのようだけど、「ちゃんとしたシーンにしなきゃ」という義務感に囚われているとできなくなってしまう。逆に言えば、そういう義務感を取り除いていけば自然と目の前の人を助けることができるようになる。

フィードバックに一喜一憂せずに、シンプルに学んでいく

ディレクターはプレイヤーからフィードバックを受けて学んでいく。しかし、そのフィードバックにいちいち大喜びしたり落ち込んだりしていると、次にやるのが怖くなる。ボールを投げることを学ぶように、「今は右すぎたね」「今度は左すぎたね」とシンプルに学んでいくほうが結果としてスムーズに成長できる。

今回はじーーっくりなワークショップでしたので、次回は趣向を変えてもっとポンポンやるのもいいかなと思っています。次回は12月4日(日)の13:30~16:30です。今後ともどうぞよろしくお願いします!

宇都宮でインプロワークショップをしてきました

先週の金曜日から日曜日までの三日間、宇都宮でDE:RESSAL-MANEのインプロ合宿をしてきました。もっちーとふたりでワークショップをして、インプロの幅を広げるにおいても深さを深めるにおいてもとっても豊かな時間になりました。

ワークショップはかなりバリエーション豊かにやったので感想はいろいろあるのだけど、個人的には「Give your partner a good time(相手にいい時間を与える)」というコンセプトの力強さと繊細さをすごく感じたことが印象に残っている。

相手にいい時間を与えあっている時のインプロはとにかく面白い。そこには即興でしか現れないような爆発的な力がある。しかし、何が相手にいい時間を与えるのかはすごく繊細。それは相手をよく見せようとすることかもしれないし、自分がやりたいことをやることかもしれないし、ただその場にいて反応することかもしれない。それは本当に分からない。

ただ、その中でも「正直である」ことの大事さはすごく感じた。自分を偽ってでも相手に合わせた方がいい時間を与えられるような気はするけれど、実際にはお互い苦しくなっていく。正直にやって、失敗して、そして学んでいくしかない。そういう姿自身が相手にいい時間を与えているなんてことも往々にしてある。

ルールやマニュアルにそってやる方がずっと簡単。相手に本当にいい時間を与えるのは難しい。でも、だからこそ価値がある。インプロはアートなのだと改めて思った。

高校の演劇部を対象にインプロワークショップをしてきました

金曜日・土曜日はれいこさんに誘われて、高校生と幼児が劇で一緒に遊ぶという活動のお手伝いをしてきました。

金曜日に演劇部の高校生にインプロワークショップをしたら、土曜日には幼児をお招きしてもう本番というタイトなスケジュール。しかしそれでも非常に豊かな時間となった。

高校生へのワークショップは演劇としてのインプロを体験してもらおうということで、ウォーミングアップをしたあとはずっとフリーシーンを行うというものになった。高校生がやりたいシーンを始めて、途中で困ったら僕がディレクションを入れてどうにかするということをひたすらやっていた。構成としてはかなりシンプルなワークショップだったけど、内容はすごく豊かだった。「こんなことやっていいのかなぁと思わずにやってごらん」と言ったら、本当に見たことないようなシーンが連発してとっても面白かった。

高校生たちはワークショップが始まる前はふわふわしていて大丈夫かなぁと思ったけど、いざワークショップが始まると集中し、そしてお互いがさりげなく助け合っていた。最近の若者の優しさというものをすごく感じたし、彼ら彼女らが本来持っている創造性も感じられる時間になった。同時に、指導者がそれらを扱うことの繊細さというものを考えたりもした。

土曜日の本番は、子どもの前でインプロを見せたり子どものインプロを見たのが久しぶりということもあり多くの発見があった。この日は親御さんも見ていたのだけど、大人が面白がるところと子どもが面白がるところは少し違っていた。大人はインプロをしてギリギリのところに立っている人を見るのが好きだし、失敗する瞬間をとても面白がるけど、子どもはそうでもない。キースも言っている通り、子どもの興味を引き付けるのはストーリーだった。

そもそも、子どもにとっては面白いストーリーと退屈なストーリーがあるだけで、それがうまくいっているとか失敗しているとかいう判断自体をしていないのではないかと思った。以前中学校でインプロショーをしたときに「お話しが始まったら続きが気になる」という当たり前のことを再発見したのだけど、それのもっと純粋な形を見たような気がした。

この日はれいこさんの巧みなファシリテーションもあり、子どもたちは劇遊びの中でどんどん物語を語っていた。そして物語を語る上ではこういった感性がとても大事なのだろうと思った。

僕は子どもの感性至上主義ではないので、別にそれが「いい」とか「わるい」とかいうことは思っていない。そもそも、子どもは「いい」「わるい」をつけていないという話なのに、大人がそれに「いい」「わるい」をつけるのは野暮というものだろう。ただ、そういう世界もあるのだなぁということは感じたし、自分もそういう世界に生きられるようにしたいなぁということは思った。

世界は広く、未知は様々な方向に広がっている。そして探求は続いていく。

学ぼうとするとかえって学べなくなる。いいものを作っていく中で全て学ぶことができる。

最近インプロのワークショップをするときは、ものづくりのワークショップのような健全さでやりたいと思っている。

インプロのワークショップは「自分を見つめる」といったコンセプトによって、ややもすると内向き後ろ向きになりやすい。「自分がインプロをできないのは家族との関係に問題があったからだ」といった「気づき」によって何かを学んだような気にはなるけれど、僕はそれはあまり意味がないことだと思っている。それは「できない理由」にはなるけれど、「できる理由」にはならない。

ものづくりのワークショップはその点すごく外向き前向きである。「自分はどうしていいものが作れないんだろう」と自分を探ったっていいものは作れるようにはならない。それよりも作品に向かって手を動かした方が(途中たくさん失敗しながらも)いいものは作れるし、その結果これまでの自分の枠組みに気づくことができる。そしてその気づきは気づくと同時に手放すことができる軽いものである。

自分探しをするのではなく、何かをするための自分の使い方を探す。自分の使い方を見つけた結果それまでの自分について気づくこともあるけれど、それはあくまでも結果であって、それ自体を目的にすると重くなってしまう。

そういう風に考えるようになってから、僕はインプロのワークショップをするのがかなり気楽になった。人に何かを気づかせようとするとどうしても重くなる。そうではなく、今ここにある現実をただ良くしようとすればいい。

悪いところを探すのではなく、良いところを探すのでもなく、ただ良いものにしていく。「褒めよう」とするのはあまり誠実な態度ではないと思うし、「気づかせよう」とするのもやっぱり誠実な態度ではないと思う。でも、ただ一緒にいいものを作っていこうとすれば誠実になれる。その結果何に気づくのか、もしくは気づかないかは相手の自由だ。

ワークショップはもともと「工房」という意味だったけれど、今では学びの場所という意味合いが強くなっているように思う。学びにフォーカスした方が学べるような気はするけれど、僕は案外そうでもないんじゃないかと思っている。学ぼうとするとかえって学べなくなる。いいものを作っていく中で全て学ぶことができる。

ワークショップにおける「批判しない」について

ワークショップでよく言われる「批判しない」ということは、単に批判的なことを言わないというだけではなく、本当に批判的な心を持たないことが大事なのだと思う。たとえ批判的なことを言わなくても、そこに批判的な心があればそれはどうしたって伝わってしまう。

本当は心の中で相手を批判しながら「いいですよー」と言うよりも、心から相手を受け入れながら「バカだなー!」と言えるほうが僕はずっと尊いことだと思う。そして自分が許せないと思っていることを本当に許している人がいれば、それだけで何かが変わっていく。

でもこれはあくまでも理想型だから、実際には常にそこを目指していく過程なのだと思う。「批判的な心があるのだから批判すればいい」と開き直る(実際には感情に囚われている)のではなく、「人を批判してはいけない」というルールに囚われるのでもなく、批判している心に気づいたらただそれを流していく。そうしているうちに自分がだんだんとクリアになっていく。

人はすぐに「どうすればいいのか」を知りたくなるけれど、それよりも「どうあればいいのか」を知ることの方が大事なのだと思う。それは一足飛びにはいかないもどかしい過程だけれど、そういう風にしか進んでいくことはできないし、僕はそういう風に進んでいる姿自体にある種の美しさを感じる。

ワークショップにおける「タノシカッタふりかえり」問題

僕はインプロに限らずワークショップのふりかえりというものに違和感を感じることが多いのだけど、違和感を感じるふりかえりのひとつに「タノシカッタふりかえり(もちろん僕の造語)」がある。これは参加者から出てくる言葉が「楽しかった」ばかりになるふりかえりのことである。これは興味深い現象だと思うので、インプロのふりかえりを題材にちょっと考察をしてみたい。

なぜ「楽しかった」ばかりになるのか?

まず、その時やったインプロが本当に楽しくて「いやー楽しかったー。すげー楽しかったー。」としか言えない場合は僕は違和感を感じないし、それはそれでいいと思う。

僕が違和感を感じるのは、「いや実際そんなに楽しそうに見えなかったよ」という場面に対しても「楽しかった」が出る時だ。

なぜそうなるのかというと、これは単純に「楽しくなかった」とは言えない、という配慮からだろう。また、楽しいかどうかは主観なので、「私はこれが楽しかったんだもん!」と言えば反論のしようがなく使いやすいワードだというのもあるだろう。

インプロは楽しくなければいけないのか?

しかし、そもそもなぜこのような配慮をするのかというと、そこには「インプロは楽しくなければいけない」という信念があるからだと思う。

もちろん僕も楽しいインプロをできた方がいいとは思っているけれど、実際問題としては楽しい時もあれば楽しくない時もある。そしてそうなることについては許すしかないと思っている。

楽しくないインプロを許さないと、「楽しくなければいけないインプロ」をすることになり、その時点でもうだいぶ楽しくなくなってしまう。そして楽しくなくなった自分を許せないためにより楽しくなくなる、というネガティブ・スパイラルに陥ってしまう。(もしくは別方向として、それなりに楽しくなるゲームばかりやってしまう、ということもあるだろう。)

『キース・ジョンストンのインプロ』でキースは「うまくいかなかったら、笑っちゃってください」と何度も言っているけど、楽しくなくても「うわー、楽しくなかったー。はっはっは。」と笑えたら素敵だなと僕は思っている。

インプロをやっている時には楽しい時もあるし、楽しくない時もある。けれど、その全てが許されていて、さらに言えば祝福されているような場所を僕は作りたいと思っている。

どうしたら楽しくなるか ―― What Comes Next?

では楽しくなかったときは「楽しくなかった」と言えばいいのかというと、「タノシカッタ」と言うよりはずっといいけれど、僕はそれだけでは半分だと思っている。

楽しくないものは楽しくないのは真実だ。でも同時により楽しくしたいと思っているのも真実だろう。だから次にどうしたら楽しくなるかを考えるのがもう半分だと思っている。

次にどうしたら楽しくなるかについては、はっきり言って永遠に答えはない。けれど、自分に誠実であれば「なんとなくこうしたらいいんじゃない?」というアイデアはだいたいあるし、なければ「とりあえずもう一回やってみよう」というのもアイデアだ。

で、楽しくなるだろうと思ってやってみても、楽しくならないこともある。そうしたらまた「うわー、楽しくならなかったー。はっはっは。」と笑っちゃえばいい。

そういう前向きな姿勢はそれだけで場を楽しくするし、そういう風にあること自体がインプロをするということなのだと今の僕は思っている。