挑戦するとは自分で自分をダメにすることではなくて、舞台の上でできるだけいい状態でいること

僕はインプロをするときには挑戦することが大事だと思っているのだけど、同時にインプロには挑戦してる「ふり」もたくさんあるように思う。

やたらと難しいルールのゲームはその例で、これは一見すると挑戦しているような感じがするのだけど、実際にはルールを課すことで本当の挑戦である未知には進まないようにしているのだと思う。そこそこのところで失敗することで(失敗する「ふり」をすることで)笑いをとって安心しようとしているのだと思う。

挑戦するとは自分で自分をダメにすることではなくて、舞台の上でできるだけいい状態でいることなのだと思う。そうすれば自然と未知へと進んでいくことができるし、それでも失敗は起きるのだから人生は面白い。

自分をいい状態にしてあげる。パートナーをいい状態にしてあげる。そしてお客さんもいい状態にしてあげる。気楽に、失敗できるように、楽しめるように、面白がれるように、ワクワクするように、遊びたくなるように、ハメを外せるように、正直であれるように、余裕を持てるように、自由になれるように、ハッピーになれるようにしてあげる。

いいインプロとは「人生っていいな」と思えるものなのだと思う。そして毎日は続いていく。

キースのインプロは「失敗してもいい」ものではなく「失敗した方がいい」もの

キースのインプロは「失敗してもいい」ものではなく「失敗した方がいい」もの。失敗した方が面白いし、失敗した方が学べる。

自分のできる範囲で面白いことをやろうとしてもそれほど面白くはならない。挑戦していれば、奇跡が起きたり失敗したりして自然と面白くなる。

同じ失敗を100回繰り返す人はいない。失敗を繰り返せば挑戦だったことも当たり前にできるようになる。そしたらもっと挑戦する。

挑戦するためには意識的なチョイスが必要になる。未知に自分を放り込む感覚。でも自分は「自分」が思っているよりも賢いので、意外とできちゃったりする。し、できなかったらできなかったで面白い。

キースの言葉(例えば「Be average」)を挑戦しないための言い訳にしない。快適な領域で自然体でいられるのは当たり前。未知の領域で自然体でいてほしい。そうすれば未知の領域が開拓され、そこも快適な領域になる。

キースインプロの学び方は起業家の生き方と似ている。コンフォートゾーン(快適な領域)でうまくやらない。どんどん挑戦して、どんどん失敗して、そしてときどき何かが当たる、という生き方。

勉強するのではなく、探究する。何かをコツコツ積み重ねていくというよりも、何かにぶつかって自分という存在が変わる学び方であり、生き方。

「うつのみや春の演劇フェスティバル」に出演してきました

この前の土曜日は「うつのみや春の演劇フェスティバル」で演劇集団DE:RESインプロ研究室のゲストとして1時間のインプロショーに出演してきた。出演者はDE:RESのメンバー8人と僕を含むSAL-MANEの3人で合計11人。僕はディレクターをDE:RESのなぁさんと分担して行いつつ、プレイヤーとしても出演するという大忙しの1時間で、ひさびさにインプロをやってクタクタになった(笑)

ショーはとってもいいショーだった。プレイヤーは楽しんでいて、そしてチャレンジもしていた。そこにはインプロに対して真摯な姿があって、お客さんの反応もとても良かったと思う。

今回久しぶりにショーのディレクターをして思ったのは、「キースのインプロはよくできているなぁ」ということだった。キースのインプロはディレクターがいることが前提となることが多いのだけど、たしかに子供のようなプレイヤーと親のようなディレクターがいるとすごくいいショーになる。

今回DE:RESの出演者8人のうち、3人は初めてのインプロショーだった。他のメンバーにしてもインプロショーの経験数が多いわけではない。けれど、「初心者がいるからショーのクオリティーが低い」とか「経験者が集まっているからショーのクオリティーが高い」とか、そういう尺度ではない「よさ」がこの日のショーにはあった。

インプロショーでは普段90点の人が80点を出すよりも、普段60点の人が70点を出す方がずっといいショーだと感じられる。そして、ディレクター付きのショーはそういう状態をすごく作りやすいのだと思った。

一方で、この日のショーはディレクターがいないショーの難しさについても改めて考える機会になった。

SAL-MANEというチームは特定の指導者を持たない。また、最近は権力を分散させるようにしているので、僕もできるだけ口を出さないようにしている(これまでの経験上、僕がいろいろ言っても親の立場にはならなくて、「うるさい友達」の立場になるのであまりうまくいかない)。

DE:RESと比べるとSAL-MANEの方がインプロの経験は多いけれど、だからといっていいショーができるかというと「うまくいくこともあるけれど、思ったほどはうまくいかない」という実感がある。

親となるディレクターがいる場合、ショーの大枠はディレクターが作ってくれるし、チャレンジもさせてくれるし、いざとなったら助けてくれるという安心感もある。しかし、そのようなディレクターがいない場合はプレイヤーたちが率先して助け合って、チャレンジして、そしてショーを作っていく必要がある。

そしてそれは思ったよりも難しいことなのだということを、今回のショーを通して改めて発見した。(特に日本人はお互いを見合ってしまいがちなので難しいと思う。アメリカ人の場合はそれほどでもなく、そもそもディレクターの存在がほとんど無いのもある種必然だと言える。)

さらに言えば、これまでのSAL-MANEのショーはゲームやシーンごとにMCがあったので、交代でリーダー役を引き受けることができた。しかし最近はMCを入れない方法に挑戦しているので、本当にプレイヤーとしてショーを作っていく力が必要になるのだなぁと改めて実感している。

中学校でインプロショーをしてきました

先週の金曜日は日野さんのお誘いで、日野さんの母校である静岡の中学校でインプロショーをしてきた。メンバーは日野さん&即興実験学校のゆみいちゃん&SAL-MANEのしゅうへいと僕、というかなり珍しい4人組。この中学校はどみんごや日野さんの縁からインプロに積極的で、今回ショーを見た二年生は既に3回のワークショップを受けていた。

生徒にとっては初めて見るインプロショー&この4人でやるのは初めてのインプロショーということで、今回はゲームを中心とした見やすい&やりやすい構成のショーにしようということで本番に望んだ。しかし、結果としてその見込みはだいぶ実態とずれていたように思う。

印象的だったのはショーの最初にカテゴリーダイとストーリーダイをやった時だった。カテゴリーダイはMCから指された人がお題にそって答えを言い(例えばお題が「くだもの」だったら「りんご」のように)、間違えたり詰まったりしたらみんなから「ダーイ!」と言われるゲーム。ストーリーダイはそれのストーリー版で、MCから指された人がその間ストーリーを話し、話が変になったり詰まったりしたら同じくみんなから「ダーイ!」と言われるゲーム。

僕の中ではこのふたつのゲームはどちらも「失敗を楽しむ」系のゲームで、それほど違いは無いと思っていたのだけど、この日はそうではなかった。カテゴリーダイで失敗したときはみんなで盛り上がっていたけれど、ストーリーダイで失敗したときは盛り上がるよりも「あれ?話の続きは?」という空気になっていた。

その次には短く盛り上がる系のシーンをやってみたのだけど、やっぱり「あれ?続きは?」という反応になったので、次のステータスを使ったシーンはちょっとじっくりとやってみることにした。これは当初はそんなに長くやる予定ではなかったのだけど、シーンの展開自体もストーリー性のあるものになったので、途中で終わらせず「これで終わりだな」という実感があるところまで続けてみた。その時は生徒がすごく満足しているという空気を感じた。

「お話が始まったら続きが気になる」――言葉にすると本当に当たり前のことだけど、この日のショーはこのことに改めて気づかされた。

お客さんはインプロを見ている時に普通に続きを想像しながら見ている。しかし舞台にいる役者はその感覚を失ってしまい、何かをしなきゃいけないと思ったり、反対に逃げ出すようにすぐに終わってしまう。今回のショーはそういうことを改めて感じる機会になった。

もちろんお客さんは普通に想像しているからといって、舞台に上がったらインプロができるかといったらそういうわけではない。今回のショーでは生徒を何度か舞台に上げたけれど、客席にいるときはうるさいくらい元気な子でも舞台ではやっぱり固まっていた。また、恐怖の問題とは別に、想像している「何か」を具体的にするには瞑想的な技術が必要になる(「見る」技術については最近研究が進んでいるのだけど、これについてはまたいつか)。

しかし、インプロをやると決めたからにはこれらを言い訳にしてもしょうがない。想像する力は普通にあるのだから、それを信じて飛び込んでみるしかない。それでうまくいかなくなったら潔く失敗を認めればいい。そこに飛び込まずに失敗しないようにしたり、失敗することを前提にした失敗をしても小さくまとまるだけである。今回のショーはインプロバイザーとしてそんなことを思った。

合気道と即興

そういえば先日「気で投げる」ということをするワークショップに行ってきた。気で投げると言っても超能力のようなものではなく、全身を連動させることによって生まれる力で投げようという比較的分かりやすい内容。投げられる方もその力に抵抗するのではなく、むしろ流れに乗ってみようというもの。

投げるにしても投げられるにしても、うまくいっている時とうまくいっていない時の違いがはっきりと実感として分かるのが面白かった。相手を投げることに対する恐怖があるとうまくいかないし、相手を投げることに対する欲があってもうまくいかない。ただ相手と一緒にいて投げればいい。

そしてその違いは傍から見ていても明確なのが興味深かった。そこには美しさと茶番くらいの差があった。

これはちょうど演技において本当にやりとりをしている時とやりとりをしている「ふり」をしている時の違いと非常に近く、ストーリーテリングにおいて思い浮かんだことをやる時と考えたことをやる時の違いとも近いと思った。

インプロでは感情やアイデアを使えば即興をしていなくてもそれなりに面白くなってごまかせてしまうけれど、気で投げるというワークはシンプルゆえに本当に自分が今ここにいるかを捉えることができていいなぁと思った。

このワークショップよりもさらに一週間前には栃木にインプロを教えに行った。そこでは「三人一緒に立つ」というワークをやった。「座っている三人が一緒に立つ」というこれまたとってもシンプルなワークだけど、本当に即興で立つことができた瞬間は会場が一体になるくらいの面白さがあった(逆に故意に立ったときは茶番以外のなにものでもなかった)。

合気道にはデタラメな力があるように、即興にもデタラメな力がある。インプロをしていると何かいろいろやらないといけないような気がしてくるけれど、もっとシンプルに即興の力を信じてみてもいいのかもしれないと思った。

美しさと茶番の間をうろうろしよう。

インプロは即興である

「インプロは即興である」

これは当たり前のことだと思っていたけれど、本質的には自分は即興をしていないのではないか、ということに最近になって気づいた。僕はインプロは究極的には遊び(Play)だと思っているのだけど、即興を本当に遊んでいるかというと、それは疑わしいと思った。

インプロは本来即興だから、何が起こるかは分からないし、思い通りにいかないこともある。それは当たり前のことなのだけど、多くの場合自分はそれをネガティブなこととしてとらえていると思った。アイデアが無いと焦り、オファーが通らないとガッカリする自分がいた。

もちろんアイデアはあった方が落ち着くし、オファーは通った方が嬉しい。けれど即興を遊ぶということは、アイデアが無かったりオファーが通らなかったりすることも含めて楽しむことなのだと思う。

僕は「探究心」や「遊び心」という言葉が好きなのだけど、前者ではシリアスすぎて後者ではポップすぎる時には「好奇心」という言葉を使うのがいいと思っている。そして、そんなことを考えた時にWikipediaを見てみたら次のような文章があった。

目新しいものに出会ったとき生まれるその他の心情としては恐怖が挙げられる。ヒトが目新しいものにぶつかった場合は、まず驚愕が先に立ち、それから好奇心が生まれるか恐怖が生まれるかのどちらかである。(好奇心

未知に対して恐怖を感じることは、動物としてある程度正常な反応だと僕は思っている。赤ちゃんのように見かけたもの全てを口に入れようとしては、人は生きていくことはできないだろう。

しかし、インプロをする上ではその恐怖は役に立たない。インプロでは未知に飛び込んだ方が面白くなり、未知に飛び込まないとどこにも行けずに終わってしまう。

人は成長するにしたがって、過去の経験に基づいて未来のことを決めようとする。もちろんそれも悪いことではないけれど、それによって今ここで起きていることを見逃しているなら、そこにある可能性に目を向けてみることもいいだろうし、即興するとはそういうことなのだと思っている。

いいインプロバイザーは安全な場所を作り、安全な場所はいいインプロバイザーを作る

先日INNERSPACEのワークショップにお邪魔したらとっても雰囲気が良くて、キースの言う「安全な場所を作る」ということについて改めて考えさせられた。

最近のSAL-MANEの稽古場は、「うまいインプロをしよう」と思っていた時期と比べるとずいぶんと気楽で楽しい場所になってきていたけれど、もっとポジティブなフィーリングで満たすことができると思った。

そして、キースのワークショップから帰ってきたさんまが「安全な場所を作る」ということについて次のように語っていたことを思い出した。

キースの安全ぶりを感じたのは、満足したら出て行くっていうワーク(リービングゲーム)をやったとき。前で一人が何かやって、見ている人は「もう見なくていいや」って思ったら出て行くっていうワークを舞台の裏で2回やった。

5日目にやったときと最終日にもう1回やったときで全然雰囲気が違った。みんなが助け合ってたし、キースはただそれを見守ってるだけだったし、10日間かけて安全な場所にしたんだなってその時に強く感じた。

5日目は出る人は大体一人だったし、周りもボランティアを頼まれたら出てくるって感じだったんだけど、最終日にやったらみんな誰かが困ってたらすぐ助けにいってた。3人でも4人でも5人でも。

一人で出るとかボランティアを連れてきてもいいっていうルールはもう完全になくなってるし、場もそれをやっていい雰囲気になってるし、皆実際にやれるし。そういう風に10日間でなったんだなって思った。

キース・ジョンストンのワークショップの感想を聞いてみました Vol.2

当時の僕はうまいインプロバイザーになることを目指していたし、それは個人の力だと思っていたので、この話にはそれほど惹かれることはなかった。けれど、今はこれがとっても大事なことなのだと思うようになった。

「安全な場所を作る」というテーマで稽古に臨むようになったのは最近だけれど、すでに少しずつその成果は出ていて、そうするとみんなのインプロが如実にうまくなるという実感を得ている。この前の稽古の後半では、僕はただ「みんなインプロうまいなー」と思いながら見ているだけでよかった。

しかし、安全な場所を作るということは個人でできることではない。それはそこにいる集団で作るものなので、誰かがネガティブなフィーリングを持ち込めばすぐに消えてしまう。そこには「安全な場所がいいインプロバイザーを作る」とも言えるし、「いいインプロバイザーが安全な場所を作る」とも言える循環関係がある。今回「安全な場所を作る」というテーマを稽古に持ち込んだのは僕だけれど、それを形にしたのはそこにいたメンバーだった。

SAL-MANEというチームは良く言えば個性豊か、悪く言えば統一感が無くて、「なんでこの人たちが同じ舞台に立っているんだろう」と毎月のように思うのだけど(笑)、そこが安全な場所であればそれでも大丈夫だし、むしろお互いから刺激を受けられるということがよく分かるようになった。そして、チームでインプロをするということは楽しいことなんだな、と改めて思った。